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雑草対策の実際  余話として

山というほどではないものの、小高い丘のような地形が連続していて、車を停めて置ける拠点のようなところから、草刈り機でうっそうと茂った草を刈り倒しながら、その小山を切り開いていくような作業で、雨の降る日も多い中、合羽に長靴姿で蒸し暑い中、ずぶ濡れになり、その現場を草刈り機を肩に担ぎ、燃料や替刃を持って歩いていく道なき道のことを…

今でもその時の光景をかすかに思い出すことができる

 

足元も悪く、殆どが傾斜地でその角度も急に変わるので、足を滑らせこけてしまうこともしばしばで、まるで戦争映画などでジャングルのようなところを小部隊で迷走している兵隊にでもなったような気がして、しんどさよりも面白く感じるようになった変な気分など…今から思えば貴重な体験だった。

 

最近では、こんな武勇伝のような話を聞かされても、前時代の馬鹿げた作業慣行で、今の時代には何の意味も持たないと一蹴されるのだろうけど、敢えてその中に何か意味を持たせるようなことがあるとすれば、人間なんて、意外とフィジカル的に自分の考える領域を超えて何かやり遂げてみると、思わぬ反作用のようなものが現れることもあり、この時はこれが何か自信のようなものになり、ここでこの後もやっていけそうだと思えるようになっていたのかもしれない…

誰でもあまり意味のないコスパの悪いような作業をさせられると、”こんな事やってられるか!”と怒り出すのも分かるが、その時には何の意味も持たない無駄働きだとしか思えないような作業の中にも、後になってから何らかの意味を持つものだったと知らされるようなものも、ほんの少しだけでも存在するものである…